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心に広がるのは靄(もや)。視界にだらしなく横たわり霞がかったまま晴れる事はなく、他愛のない何時もの街並みすらも若干色褪せて映る。 「…ん…さん?」 ぼんやりとストローを口に肘を付いた右手に顎を乗せていたが、どうやら向かいから呼ばれているらしい。 目の前に焦点を合わせ、にっこりと微笑む。 「もぅ!ちゃんと聞いてくれてましたか?」 少し恨めしそうな顔でプゥと片頬を膨らませている。 「ごめんね、何だか身振り手振り一生懸命で可愛いなぁって見とれちゃったわ」 そう言って少し苦笑を浮かべテーブルの上で握り締められている手に、そっと自分の手のひらを重ねた。 途端、顔を真っ赤に染め俯く彼女「そんなのズルいです」と訴えている。 そのまま、重ねた手をキュッと握り「映画、行くんでしょ?」と、もう一度微笑む。 そう言って、伝票を掴むと悩ましげに組んでいたタイトスカートから伸びる足を解き、ジャケットとバックを持って立ち上がる。 耳の後ろで緩やかに束ねられ肩にかかる長い黒髪がこぼれ、サラリと揺れる 「恵さん…きれい」思わずこぼれた台詞にハッとしたように口を押さえバツの悪そうな顔で見上げてくる。 「ありがとう、褒めてくれて。でもあなたの方が可愛いわ」とサラッと言えばまた頬を赤らめてしまった。 支払いを済ませオープンカフェを出る。 「あっ、私払いますからっ!!」 素っ頓狂な声をあげ、小走りで財布を握り締め駆け寄って来る栗色のふんわりとした髪。 生成のワンピースに若草色のストールを巻き、足元はスェードのブーツ。履き口には生成のファーが付いている。 隣に並び、がっくりと肩を落としている 「すいません・・・今度御馳走しますんで」 「気にしなくてもいいのに(どうせ、元はアンタの金なんだし)」 ブンブンと首を振る度に揺れる栗色と若草色 ちらりと全身を見ると、頭のてっぺんから足の爪先まで完全なるデート仕様だ。 (この分じゃあ勝負下着かもな)なんて思ったが、投げかけられる熱の籠もる視線にあながち冗談とも思えず薄ら寒いものが這い上がる。 別に女とヤルのは初めてじゃあない、シルク(サーカス)にいた頃団長にあてがわれた中には女もいた、ババァだったが。 悪くはなかったが、特に良くもなかったのを覚えている。思いを巡らせているとキツすぎる香水に辟易した記憶が蘇り、意味もなく息苦しさを感じ、顔をしかめる。そして、ゆっくりと深呼吸をしながら人の群れに目を移す。 (さて、どうしたもんかな)今の所まだ敵は姿を見せていない。ただ時折殺意の籠もる視線を感じる。ただそれはホンの一瞬で視線の主を特定できないまま、間抜けなオトリ調査が続けられていた。 (蜘蛛は何やってんだよ、蜘蛛はよぉ)茶番劇に苛立ちを募らせ、思わず歩みが早くなる。 それに一生懸命付いて行こうと小走りな靴音。 暫く放っておこうと思いもしたが、まどろっこしくダラダラ続くこの不毛な芝居が癪に障り、『短期決戦』という四字熟語が魅力的に心をよぎる。 溜め息を一つこぼし振り返る。手を差し伸べ、戸惑いがちに置かれた指先を軽く握る 「ちゃんと言って欲しいわ、『待って』って」 そう言って繋いだ手を自分の方へ引っ張り、その体を抱き止める 丁度路地の間に滑り込むように、外界から少しだけ隔離された隙間で、優しく抱きしめ髪を撫でる 栗色に頬を寄せ、シャンプーの香りなのか何なのか、甘い香りに眉をひそませつつ腹を括る。 こちらを見る潤んだ瞳に微笑みを送る。(今、ちゃんと笑えてるか?アタシ、苦笑ってねーだろな?)と自分突っ込みを入れつつ、両手で頬を挟み軽く、唇が触れるだけのキスを送る 呆(ほう)けているその顔へクスリと笑みをこぼし話しかける「眼、閉じてくれない?」 ピクっと肩を震わせてオズオズと目を閉じる 相変わらず顔は赤い (初めてでもないだろーに、初(うぶ)いこった)そう少し変に感心する 「そんなに、緊張しないで?」指の背で頬を撫でると少し表情が和らいだ 先程とは角度を変えて、少し深いキス 唇を合わせながら、舌で口端をペロッと舐めると、若干上気した頬をピクリと動かし戸惑いながらも口内に舌の侵入を許した。 男とのに比べると段違いに柔らかい気がする、そして何より甘い 舌を絡ませ、何度も角度を変えながら口付ける 腿の間に足を差し込み、器用にストールを外す。そのまま手を胸に持ってきたところで、ハッとした様子でフルフルと首を横に振る 「どうして?いいでしょ?」 「だっダメです。。。こんな、所でなんて・・・」 (おいおい、このお嬢ちゃんは、趣旨ってもんを分かってんのかね?今はヤツを煽ってんだぜ?) 半分呆れたが、まだヤツの行動時間の夜にゃ時間があるし、どうせどっかで見てるんだろうしジワジワ焦らすのもいいかも知れない 再び溜息を洩らし「分かったわ」と呟く。 手早くワンピースを直し、ストールを巻き直す。 髪を手櫛で整え、乱れた口紅を親指でグイっと拭ってやる 一歩後ろに下がり、整えた服装全体を見る。(よし、おかしくないな) そのまま踵を返し、路地から表通りへ出る、まだ日が高い 歩き始めた瞬間、凄まじい殺気 (釣れたか!?) 瞬時にカツっとヒールを踏みしめ辺りを見回すも、怪しい人影を捉えることはできず、殺気も雑踏の流れに飲み込まれていくようにその場から消えた。 (ふふ、さっきのが充分に効いたってことか・・・) 高揚する気分のままに歩きだしたところで、隣に誰もいないことに気づき振り返る 少し俯いたまま、路地から出たところで立ち尽くしている (しまった、何かされたか!) 慌てて駆け寄り声をかけようとしたところで、向こうから声がかかる 小さな声で、声も少し震えているようだ。顔をあげると今にも泣き出しそうな表情(かお)。 「めぐっめぐみさ・・ん、きらっ嫌いにならないで・・・」 ほとんど泣いているような嗚咽まじりの震える声で言い募る 自分の顔に今度は明らかに苦笑が浮かぶのを自覚する 「ならないわ、どうしてそんな事言うの?」 「だ・・・って、わたし、ことっ断って」 言葉を紡ぐ唇にそっと人差し指を押し付け、柔らかく微笑む 「ならないわ、でも・・・」 二の句をつなぐ瞬間に、自分を見つめる瞳に傷ついた色が浮かぶ 頭をふわりと撫で、耳元に囁く 「今夜は・・・覚悟して頂戴ね」 今日見た中では一番の紅潮を見せ、俯く姿にクツクツと笑みが零れる 少し傾き始めた太陽を見上げ、もう一度呟く 不躾に人に殺気だけ送って寄こして姿を見せない、ヤツにも愛の言葉を 「今夜は・・・覚悟して頂戴・・・・ね」 日に照らされた顔に狂色を浮かべ、深く深く笑む様は絶望のように凄惨で 楽園の主(あるじ)のように美しい |